5月5日、大分県竹田市の山中にある「殉空之碑(じゅんくうのひ)」の両脇に、日米両国の国旗が揺れていた。
終戦直前だった79年前、この地に米軍爆撃機B29が旧日本軍機の体当たりを受けて墜落。乗っていた米兵らはパラシュートで降り立った。
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ひっそり続く山中の慰霊祭、日米の国旗揺れる
「真っ黒い煙があがって、煙のヨコを落下傘が二つ。竹やりを持った人や刀を差した人が、どんどん学校の前を通り、昼ごろにはたいへんな(数の)人間が集まった」
当時、現場を目撃した工藤勝昭さん(87)が、空を見上げながら慰霊祭に集まった約40人に語りかけた。
工藤さんはさらに、こうも語る。「東野(とうの)先生が取材に来られるまで、生体解剖事件について全然知らなかった」
生体解剖事件とは、1945年、墜落したB29の乗組員のうち8人の米兵が九州帝国大(現・九州大)に運ばれ、5月17日から臓器摘出などの実験手術の末に殺害された事件を指す。
戦後、軍将校や九大教授ら30人が戦犯として起訴され、23人が有罪となった。うち5人は絞首刑を宣告され、後に減刑された。この事件は遠藤周作の小説「海と毒薬」の題材にもなった。
そして、工藤さんが言う「東野先生」とは、当時、九大の医学生として生体解剖事件に立ちあった東野利夫さんだ。
2021年に95歳で死去す…